ここ最近は毎日「雨」。
そんな時ふと若かりし頃に上京した頃を思い出しました。
19歳の6月中旬。
その日の東京は今のように大雨で、
両手に背中に大荷物で姉の家に転がり込みました。
高校を卒業して大学へ通っていたものの、
「何のために大金を払って調べればわかることを教えてもらわなきゃなんないんだ?」
そう思った1週間後には大学を辞め1年ほど毎日のようにアルバイト。
3日寝ずに働くのは当たり前で、
そこまで寝なければさすがに記憶力や自分の行動に異常があると、
自分でもわかってきます。
睡眠って本当に大切ですね~。
と、少し話が逸れましたが、
一生懸命働いて貯められたのは100万円ほど。
高卒で良くても時給800円だった時代。
深夜のコンビニでその時給なので、
今はどれだけ恵まれているかと思いますが、
たかが100万円なんて金額は東京に住めば一瞬で消えます。
それでも一先ずは食い扶持を稼がないといけないので、
東京に着いた翌日から仕事探し。
まぁこれが見事に不採用の連続で、
2カ月間は職無しの状態が続きました。
今考えれば仕事を選んでいただけなのですが、
夢を持って上京したからにはやりたいことやりたいですよね。
ようやく決まったバイト先は時給850円+1日当たりの交通費でも、
夢に見た東京で一人歩いて生活をしている自分に満足。
ただ良くも悪くも東京に住んでいれば何でもあるし、
本当に色々な人がいるし、
思い描いたことは何でもできちゃうし…
欲望しかありません(笑)
でも現実はそう上手くは行きません。
当時は今のように労働インフラとでも言いましょうか、
そういったものが整っておらず無給残業、パワハラなんて当たり前。
就職氷河期の真っただ中でどこかの線路で毎日のように自殺者がいる。
今でこそ労働に関して多くのことが整備されましたが、
当時を振り返ると「それアウトだよ」なんてことはたくさん。
でもがんばれば一旗あげられるのも事実。
アルバイトだけで年収1千万稼いだ人もいるとかいないとか、
実しやかにささやかれ、
今でも夜の街「歌舞伎町」あたりでは、
同年代で億万長者がいるなんて話も耳にします。
そう考えれば時代や環境が変わっても、
結局のところ死ぬ気で頑張ればなんとかなるものなのよね。
しかもそのナントカの振れ幅も、
東京だからこそ大きくもあったりします。
そんな自分は相変わらずの薄給が2年くらいは続いており、
上京すぐは吉野家に入れば「大盛(たしか特盛は無かったような)+卵+味噌汁」を頼んでいたものの、
大盛のみ→並+卵→並+ショウガ山盛り→並盛のみ→文無し
というどんどんランクが下がるという経験をしました。
その頃は自分が食事をしている横のサラリーマンが、
ショウガを山盛りにして食べているのを見て、
「あんなのになりたくない」と思って自分がなる、
まさに「木乃伊取りが木乃伊になる」的な…。
その後はお金がなくてお店やコンビニでもご飯も食べられず、
百貨店やスーパーの試食コーナーのハシゴ。
食べ盛りでヒマがあれば腹が減る年頃に、
あれは本当にキツイ経験だったな~と思います。
この話は何度か、
そして何人かにはした話ですが、
今は何とか日々生活もでき、
めでたく結婚もできて子供もいて、
それなりの生活はできているのですが、
一度辛い経験をしていれば、
いつだって這い上がれる気がします。
もし今の状態であの頃のようになったとしても、
立ち向かうことができると思います。
少なくとも、
自分が上京した頃より今の方がずっと便利だし、
多くの面でずっと生きやすくなったと実感します。
でもどんな時代だとしても、
「頑張る」ことに変わりはなくて、
それは上手である必要はなく、
下手でも良いからとにかくガムシャラになれるかどうか。
ちなみにその後のサクセスストーリーもあるだけに、
人生何があるか分からないんですね~。
まぁそんな話より不幸話の方が楽しいでしょうから、
今日はこの辺にしておきます(笑)
で、めちゃくちゃ長い前置きですが、
なんでこんなことを書いたのかというと、
今はほとんどの人がスマホやパソコンを持っていて、
何でも情報が手に入る。
本当に便利な世の中になりましたね。
上京した頃に結構大変なのが「物件探し」。
今であればネットでほとんどの情報が見られるし、
何ならそのままその部屋を契約できたりしますが、
当時は一部はホームページがあるものの、
実際は現地で部屋探しをすることが多かった。
時間はかかるし手間もかかる。
良い不動産屋さんに当たればいいけど、
そうでなければ…良いことはありません。
そんな便利な世の中に少しは感謝したくなりました。
つまり終日「ヒマ」だったということでした。
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