きっと3本目?だと思う「リゾルト710」。
同じものを3本…正気の沙汰とは思えません。
唯一違うのはサイズくらいですが、
2本目以降はレングスの違いだけ。
そもそもこうなったのはデニム迷子になったころに色々試した結果、
リゾルトが一番いいのでは?という自分の中の結論に達したものの、
何かが物足りなく手放し再び買い手放し…以下略。
で、結局これだという答えに辿り着いたわけです。
「断行」、「捨行」、「離行」というそれぞれ意味を持つ仏教用語、
つまり「断捨離」のことですが、
溜まった洋服を思い出と共に始末しながら、
「好きなデニムだけは拘ったものを持とう」と想い色々試してみた結果、
インポート物の高価なものは圧倒的にスタイルが物を言うので、
四十路の腹が出始めたオッサンが履くものではないと却下。
何より我が家のチビッ子にウ〇コやらゲ〇を付けられたら発狂することが予想でき、
それでは優しくてカッコいいパパからかけ離れ本末転倒もいいところ。
次にヴィンテージデニムも数本買ってみたものの、
製造から数十年も経過したコットン生地は使用頻度に関わらず役目を終え、
履いて行く度に横糸が切れるものが出始め、
他のものもいずれは同じ結果を辿ると予想できたので却下。
リペア代に至っては極上のヴィンテージデニムが買えるほど掛かり、
あんなものは心底愛情を持てる「本気」な人にしか維持ができない。
さらには嫁から「過去と現在のオッサン同士の股間の共有」と揶揄され、
精神が那由他の彼方へ飛ばされる始末。
そこで新品でも買えて形が良く、
デニムの醍醐味でもある「色落ち」が綺麗に出るリゾルトに。
ただ断捨離直後の自分には物足らなさを感じたせいで他のものも買ってしまい、
結局その他のものですら手放すという愚行。
やはり時計と同様にデニムも値段ではないと同時に、
「加齢」という最大の壁を相手にしながら選ばなくてはならず、
ある意味では時計よりもハードルの高い選択を迫られるという。
そこで個人的に四十路以降のオッサンがカジュアル服を選ぶときに気を付けたいのは、
・こだわり過ぎない
・レプリカ物は避ける
・サイズ感を徹底する
この3点に限る。
「こだわり」は一見、男らしく素晴らしく思えるようで、
裏を返せばとっつきにくいジジイでしかない。
反対意見を言えば烈火の如く論破してきそうで怖そうなイメージを持たせる。
四十路以降のオッサンはただでさえ近づきにくいもの。
レプリカものは好きな人なら良いかもしれないけど、
正直「カッコいい」とは正反対の幅広い世界に自分から飛び込むようなもの。
レプリカからオリジナルまで幅広く愛用している所ジョージのような趣味人の成功者か、
キムタクや坂口憲二、伊藤英明レベルのルックスと良い枯れ感の雰囲気のある人にしか似合わず、
ただでさえ劣化している一般人がやると昔の人のコスプレか懐古主義者にしか見えん。
そんな人に「DX」と聞いてデジタルトランスフォーメーションではなく、
しょーもないオヤジギャグを聞かされることだろう。
サイズ感はカジュアルに限らずスーツでも「真理」と言えるほど大切なこと。
流行りに乗ることが悪いわけではないけど、
流行を追い回せるほど時間とお金はない。
トレンドは常に右から左、左から右、上から下、下から上と順番を巡るように行ったり来たりするもので、
「細い」が流行れば「太い」、「短い」が流行れば「長い」となるので、
結局はジャストサイズであればいつの時代も問題ない。
それがカッコよく見えるかどうかは時代の「気分」次第で可笑しいと言われることはほぼ無い。
絶対に避けたいのはオッサンのピタピタは見る側から言わせれば目に映り込む「暴力」のようなもので、
ダボダボはオイルショックの時代から抜け出せないレゲエオジサンになりかねない。
昨今のファッションは聞きなれない横文字と「○○感」の集合体ばかり。
大事なのは如何に優秀な「普通」を提案してくれるかどうか。
歳を重ねると素敵になれる人ばかりではなく、
そうでない人たちの方がきっと多数を占める。
そこに追い打ちをかけるように年齢や劣化した部分を知らしめられたら、
実年齢以上に精神はタイムマシンに乗ったかのように老いるだろうし、
ドラえもんが実在してくれない限り元には戻れない。
世のオヤジ共が「マッツ・ミケルセン」であれば世の中はバラ色かもしれないけど、
実際のところはそうはいかない。
せめてデニムが似合う体形と「清潔感」を保つこと。
「デニムは年1回の洗濯の方が色落ちが良い」なんて世迷言を実践せず、
履いたのならできれば毎回洗濯したい。
そして二度と同じものを買い直すという愚行はしないようにしたい。